5ヶ月前に投稿
忍耐が習慣化した人は、世の中はみんなの忍耐によって支えられていて、誰か一人がそれをやめる事で全体が壊れるという世界観を持っている。だから彼らのうち攻撃的な人は、やめようとしている人を社会倫理と呼ばれるもので縛ろうとする。
7ヶ月前に投稿
9ヶ月前に投稿

oceanicsteam:

veggieburqers:

beauty comes in all shapes and sizes

I’m pretty sure this is like the 5th time I’ve reblogged this because omg

(出典: naadaa11)

9ヶ月前に投稿
11ヶ月前に投稿
「お母さんはうちで一番先に起きる人」になると子供が起きる時間、朝ご飯の時間、おやつの時間、昼寝の時間、夕ご飯の時間、お風呂に入る時間などが自然に正確に決まってくるものです。
そうしてこのハンで押したような規則正しい生活を、日曜日であろうが、祝日であろうが、お客さんが来ようが、頑として崩さないことが、子供を心身ともに健康に育てるコツなのです。子供の健康を願うならこのことを守りましょう。
自分も遊びたい、子供も健康でいてほしい。これは欲ばりというものです。二兎を追うものは一兎をも得ずです。また別の見方をすれば、先に苦労するか、後で大苦労するかです。
   
特に子供が三歳にならないうちはこのことが大切です
たとえば三歳未満の子供を連れて海水浴に行ったり、動物園へ行ったり、あるいは温泉へ泊りがけで行ったりするのは、子供にとって害にはなっても、なんのプラスにもなりません。
たしかに子供はその時は喜ぶし、楽しそうにはしゃぎまわります。しかしそれはそれでしかなく、実際には健康の上からも、躾の点でも、情操教育効果の面でも、まったく無益で、結果的にその子供が心身共に疲労するだけなのです。
   
親のほうにしてみれば、現実に子供は喜ぶし、子供にこれだけのことをしてやったという満足感を覚えます。この満足感を持つことはいいことだし、また必要なことでもあるのです。しかし子供が三歳を過ぎないうちは残念ながら無駄なことなのです。
   

「心 身共に」のうち、まず心のほうについて述べましょう。そういう所へ三歳にならない子供を連れて行っても、親子の絆を特別に強めるという効果はありません。 言い換えれば、そんなことに頼らなくても親子の絆はでき上がっていくということです。知能の面についても、三歳にならないうちは言葉と時間をしっかりとは 覚えていないので、海水浴や動物園や温泉に行ったことが記憶として残って、その後の知能の発達の役に立つということはほとんど期待できません。
次に心身の「身」のほうですが、これはふだんの生活と違うことをしたことによって、そのこの子の日常生活のリズム(体内時計のリズム)が崩れ、極度に疲労するのです。その結果、ふだんなら寄せつけない病原体でも身体の中に入ることを許してしまう、つまり病気になる可能性が高くなります
   
三歳未満の子供にとっては海水浴や動物園や温泉に連れて行ってもらうよりは、お父さん、お母さんと一日中、いつもやっている積み木だの絵本だので遊んでもらうことのほうが、ずっとありがたいのです。
子供を連れて遠くへ行ったり泊ったりするのは、子供が三歳を過ぎてからにしましょう。
海の水が塩からいのも、虎とライオンが違うのも、三歳を過ぎてから教えて十分間に合うし、そのほうが効果があるのです。

ドサンコの東京子育て&旅日記: 「母親は朝寝坊するな」の一喝に思うこと (via irregular-expression) (via mnak) (via petapeta)

どうせ使わない知識だろうけど。結婚したいなぁ…子供欲しいなぁ…無理だなぁ。

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1年前に投稿

20年間現役だったスーパーファミコンがついにご臨終となった。先月のことだ。スーファミを使っていたのは父親だった。将棋ゲームのためだ。ソフト名は「早指し二段 森田将棋(1993)」で、この森田将棋シリーズは1991年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝している。でも父親はコンピュータ相手にも余裕で勝てて「一番強いコンピュータのレベルを相手にして飛車角落ちでも勝てる」と言っていた。

スーファミはメンテナンスなんて一切無しで20年以上も動き続けてくれたがいよいよ壊れてしまい、俺はプレステ2を父親の部屋にセッティングして適当な将棋ソフトを中古で購入した。ところがプレステ2で将棋を指した父親が嘆いた。

「コンピュータに勝てない」

コンピュータのレベルを調べてみると、そのゲームで一番弱いレベルだった。

うちの家族はとても驚いた。スーファミよりも遥かに進化したプレステ2の頭脳に驚いたわけではない。父親はおおよそでも15年以上はスーファミの将棋をやり続けていた。うちの家族にとってスーファミで将棋する父親の姿が日常の風景だった。そんな父親がプレステ2の最弱レベルにも勝てないことに驚いたのだ。あんた強かったんじゃないのか。

父親が言うにはスーファミの将棋ゲームはコンピュータの指し方がパターン化されていたので勝てたらしい。15年間勝ち続けた父親は将棋をやっていたというよりも、必ず解けるパズルゲームをやっていたのだろう。将棋や囲碁やチェスは勝ち続けても強くならない。負けないと成長しない。だから最弱レベルのコンピュータに負け続けていた父親は3週間ほどであっという間に強くなり、今はコンピュータのレベルを上げて遊んでいる。15年間の勝利よりも3週間の敗北のほうが将棋的には意味のある時間だったのだ。

おとうさんのスーパーファミコン | 破壊屋 (via atorioum)

オセロゲームでこれと似た経験をしたことがあります。

(via kikuzu)

  将棋を比喩と考えるなら、「必ず解けるパズルゲームを15年間、ミスしないで勝ち続ける」ようなことと同じものが社会にあるかも。進歩はないかもしれないけど継続性にも価値はある。繁盛するラーメン屋がずっと同じ味を保ち続けるようなこと。 (via ryotarox-miniblog)

1年前に投稿
1年前に投稿
1年前に投稿
僕「一緒にやろ」
奥さん「いいよ」
PC「か・ん・こ・れ♡はじまります!」
奥さん「おっ、エロゲですか?」
僕「違います」
電「ふわぁあああ…は、恥ずかしいよぉっ…」
奥さん「エロゲじゃん」
僕「違います」
奥さん「運営は?」
僕「DMM」
奥さん「やっぱりエロゲじゃないか!(大歓喜」
僕「違います」
1年前に投稿